悟りと鬱とポリヴェーガル理論

3連休のうち、前半2日間はOAD心理セラピスト養成講座でした。早くもあと2カ月でこの講座も終わりです。早いですね~。月に一度のお楽しみも、あと2回かと思うと、少し寂しいです、、、。

それはさておき、1月の講座は、1日目は、「愛着障害(複雑性トラウマ)」、2日目は「鬱のしくみと対処法」についてでした。今日のブログでは、鬱について、書いてみます。

私も何度か鬱状態に陥ったことがあります。鬱状態になったその当時、「悟り」に興味があり、「悟りさせすれば、この鬱も良くなるんだろう。」と信じていました。そして、タイミングよく(!?)、『一瞥体験?』と思えるような出来事に遭遇しました。その体験が実際に一瞥体験と言われているものなのか、よく分かりませんが、その時はそう感じました。

その時私が感じたのは、いわゆる「いまここ」でした。時間というのは、幻想で、過去も未来も、自分の脳が生み出した幻想のようなもの。いま私の目の前には、これしかない。これだけがすべて、、という感覚でした。すべての煩わしさから、完全に解き放たれた、超最高の気分でした。

その当時、いまここについて書かれた悟り系のブログをよく読んでいたので、「これは『いまここ』、悟り体験だ!」と、すぐに思いました。

ところが、、、です。その「いまここ」感覚に浸っていたのも束の間。1時間位経過したころ、『いつまでこの”いまここ”は続くんだろう。』という不安がうっすらと押し寄せてきました。『いつまでも、このままでいたい!』という、切ない思いも湧いてきました。

「いまここ」感覚は、徐々にうすらいできていました。そして、右斜め後ろから、ジワジワと『時間』が押し寄せてきているのも感じました。

私は、どうにかして「いまここ」に、意識を合わせようと、全エネルギーを集中させました。だけど、その集中力よりも、「時間」の感覚は圧倒的に強かったのです。

そして、最終的には「時間」に完全に飲み込まれました。そして、元の「鬱」な私に戻ったのです。ふと時計を見ると、「いまここ」に気付いたときから、3時間ほどが経過していました。

圧倒的なエネルギーで「時間」に飲み込まれた瞬間、私は心の底から絶望しました。私は悟りさえすれば、幸せになれると思っていましたし、悟りこそが、私が幸せになるための最後の砦と思っていました。

ところが、違っていたのです。そもそも、あれは悟り体験だったのか、何なのかも、よく分からなくなってきました。文字にしてしまうと淡白ですが、死にたいくらい不幸な気分でした。あまりのショックで、前よりも鬱もひどくなったかもしれません(笑)

しばらく、何とか人生をやりすごし、鬱もよくなってきたころ、溝口あゆかさんのYouTubeに出会いました。その中であゆかさんが「悟っても、鬱は鬱のままです。」ということを、サクッと話していて、、、、かなりの衝撃を受けました。こちらのあゆかさんのブログでも書いています。悟る前に鬱、悟った後も鬱

これを見て、『あぁ、私は悟りたいのでなく、単に幸せになりたいんだ。』ということに気づき、そこから少し時間はかかりましたがOADセラピスト養成講座を受けるに至ったわけであります。

先月12月のOAD養成講座は、テーマがノンデュアリティで、その中でもあゆかさんが「悟っても虫歯が治らないのと同じで、鬱も身体的なものなので、悟ったとたんに治るものではないんですよ。」ということを話していました。

特に、私はトラウマサバイバーでもあり、トラウマも身体的な症状なんですよね。鬱はトラウマとも関係していることが多いんです。「いまここ」に気付いて、「時間は幻!!!いまここには、これしかない!」という爽快な気付きを得たからといって、手のひらを返したように、途端にトラウマも鬱も、何もかも一気に良くなるわけではないようです。

悟っても虫歯が痛いのは納得できると思うのですが、心の話だと、とたん分かりにくくなります。

これが、ここ最近書籍も販売されましたが、ポリヴェーガル理論から見ると、鬱というのは身体的な症状であるという事が、とても分かりやすいんですよ。

 

ということで、ここからポリヴェーガル理論について書こうと思っていましたがかなり長くなりそうなので、次回にしたいと思います。

書籍は、こちらもわかりやすくてオススメです。

こちらもポリヴェーガル理論について書かれている本です。

「今ここ」神経系エクササイズ 「はるちゃんのおにぎり」を読むと、他人の批判が気にならなくなる。浅井咲子 (著), 大越京子 (イラスト)

 

アジャシャンティのこちらの書籍もオススメです。
悟りへの、妙な夢が手放せます(笑)

あなたの世界の終わり―「目覚め」とその“あと”のプロセス アジャシャンティ (著), 高木悠鼓 (翻訳)

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